埋蔵文化財調査室の概要

沿革

沿革

(1)埋蔵文化財調査室設置以前
  • 1982年(昭和57 年)11月 徳島大学構内における発掘調査の嚆矢は、蔵本地区での体育館器具庫地点の調査であり、本学からの委嘱を受けた徳島県教育委員会がこれを実施する。その後、庄・蔵本遺跡第5次調査(動物実験施設新営地点)までの調査は、引き続き徳島県教育委員会が担当する。
  • 1986年(昭和61年) 庄・蔵本遺跡第6 次調査(青藍会館新営地点)から、本学の責任において発掘調査を実施する方向が初めて模索される。医学部内に同窓会館建設予定地埋蔵文化財保護対策検討委員会が設置され、専門職員を医学部付の非常勤職員枠で採用し、調査員に任ずる措置が講じられる。
  • 1987年(昭和62年) 庄・蔵本遺跡第7 次調査(医療技術短期大学校舎新営地点)に際して、再度、県教育委員会に発掘調査を委嘱することになる。ただし、このような変則的な対応を問題視する学内世論を受けることとなる。
  • 1990年(平成2年) 庄・蔵本遺跡第8 次調査(長井記念ホール新営地点・薬学部実験研究棟新営地点)において、薬学部内に調査主体および責任母体組織としての文化財保護対策委員会を応急的処置として設置する。岡内三眞総合科学部教授が調査を担当し、その際に調査員として桑原久男が採用される。
  • 1992年(平成4年) 医学部および同附属病院の老朽化に伴う再開発の必要性が現実化しつつあったことや、蔵本地区が弥生時代を中心とした第1 級の遺跡であり、埋蔵文化財の取り扱いに関する抜本的な体制整備の必要性が周知され始めたことから、徳島大学埋蔵文化財調査委員会および埋蔵文化財調査室が設置される方向へと向かう。
(2)徳島大学埋蔵文化財調査委員会・同調査室設置以降
  • 1992年(平成4年)3月17日 徳島大学埋蔵文化財調査委員会の第1 回会議が武田克之委員長(学長)を議長として開催され、委員会規則が策定される。
  • 1992年(平成4年)4月 埋蔵文化財調査室要項が制定される。室長には東潮総合科学部助教授が任命される。埋蔵文化財調査室は、蔵本地区の看護婦宿舎1 階に設けられる。また調査員としては1 名を教官身分で措置することが決定され、医学部第1 解剖学講座助手をあてることになる。
  • 1992年(平成4年)7月 埋蔵文化財調査室によって、庄・蔵本遺跡第9 次調査(医療技術短期大学校舎増築地点)が開始される。調査員が採用されるまでは東潮室長が担当し、8 月に北條芳隆が調査員として助手に採用され調査を引き継ぐ。
  • 1992年(平成 4年) 9月 常三島遺跡第1 次調査(工学部実習棟新営地点)が、徳島県教育委員会や徳島市教育委員会との協議を経たうえで、埋蔵文化財調査室によって実施される。
  • 1995年(平成 7年) 4月 橋本達也が総合科学部助手に着任する。
  • 1995年(平成 7年)12月 常三島遺跡第4 次調査(工業会館新営地点)が徳島市教育委員会によって実施される。それ以外は本学の埋蔵文化財調査室が担当している。
  • 1996年(平成 8年) 8月 中村豊が開放実践センター助手に着任する。
  • 1996年(平成 8年)11月 北條芳隆助手が埋蔵文化財調査室室長に任じられる。
  • 1997年(平成 9年) 4月 北條芳隆助手が総合科学部助教授に任じられる。
  • 1997年~2000年(平成9年~12年) 徳島県教育委員会と過去の庄・蔵本遺跡出土資料の整理体制について協議を重ねる。
  • 2000年(平成12年) 埋蔵文化財調査委員会が徳島大学施設委員会へ統合される。
  • 2001年(平成13年)2月 徳島県と徳島大学の共同研究として、過去の庄・蔵本遺跡出土資料の問題解決に当てることで合意を得られ、7月に埋蔵文化財調査室に新たに整理室を設置し、同遺跡出土資料の整理および報告書作成を10か年計画で行うことが決まる。
  • 2001年(平成13年) 3月 橋本達也助手が鹿児島大学総合研究博物館へ転出する。
  • 2002年(平成14年) 3月 北條芳隆室長・助教授が東海大学文学部へ転出する。
  • 2002年(平成14年) 4月 定森秀夫が総合科学部助教授・埋蔵文化財調査室室長に着任する。
  • 2004年(平成16年) 2月 中原計が総合科学部助手に着任する。
  • 2004年(平成16年) 4月 地域・国際交流プラザ(日亜会館)建設に伴い、新蔵遺跡第1 次調査が行われる。
  • 2007年(平成19年) 4月 定森秀夫助教授が総合科学部准教授に任じられる。
    中村豊助手が開放実践センター助教に任じられる。
    中原計助手が総合科学部助教に任じられる。
  • 2008年(平成20年) 3月 定森秀夫室長・准教授が滋賀県立大学へ転出する。
  • 2008年(平成20年) 4月 中村豊助教が埋蔵文化財調査室室長・准教授に任じられる。
  • 2010年(平成22年) 3月 中原計助教が鳥取大学地域学部へ転出する。
  • 2010年(平成22年) 9月 遠部慎が埋蔵文化財調査室助教に着任する。
  • 2012年(平成24年) 4月 山口雄治が埋蔵文化財調査室特任助教に着任する。
  • 2012年(平成24年) 9月 中村豊准教授が総合科学部准教授を併任する。
  • 2013年(平成25年) 3月 中村豊准教授が総合科学部へ転出する。
  • 2013年(平成25年) 4月 端野晋平が埋蔵文化財調査室室長・准教授に着任する。
  • 2013年(平成25年) 7月 山口雄治特任助教が岡山大学埋蔵文化財調査研究センターへ転出する。
  • 2013年(平成25年) 8月 遠部慎助教が北海道大学埋蔵文化財調査室へ転出する。
  • 2013年(平成25年)10月 三阪一徳が埋蔵文化財調査室特任助教に着任する。
  • 2013年(平成25年)12月 石丸恵利子が埋蔵文化財調査室特任助教に着任する。
  • 2014年(平成26年) 3月 石丸恵利子特任助教が広島大学総合博物館へ転出する。
  • 2014年(平成26年)10月 三阪一徳特任助教が助教に任じられる。
    脇山佳奈が埋蔵文化財調査室特任助教に着任する。
  • 2015年(平成27年)2月 石井地区(徳島県立農業大学校跡地)にて、生物資源産業学部豚舎新営に伴う試掘調査が行われる。
  • 2016年(平成28年)4月 端野晋平准教授、三阪一徳助教、脇山佳奈特任助教が大学院総合科学研究部に配置換えされ、埋蔵文化財調査室を併任する。
  • 2015年度までに蔵本地区では29 次、常三島地区では21 次、新蔵地区では1 次、石井地区では1次の発掘調査が実施されている。2016年3月時点で、組織は調査員3名、調査補助員7名体制である。