新蔵遺跡

-近世徳島藩の上級武家屋敷跡-

新蔵遺跡とは

 蜂須賀家政の阿波国入部後、武家屋敷地の置かれた6島のうち、「徳島」に形成された遺跡の一部が新蔵遺跡にあたります。「徳島」は、城郭・御殿の西側に接し、家老・中老邸宅の集中する地区でした。また、周囲に石垣が施され、城下町の中でも城郭の三の丸的な役割を担う重要な場所であったと考えられます。ここに位置する今日の新蔵町は、藩の新御蔵(米蔵)があったので、「御新蔵丁」と呼ばれていたようです。2004年に実施された新蔵キャンパス、地域・国際交流プラザ(日亜会館)地点の発掘調査では、かねてより絵図や文字記録、周辺の発掘調査成果によって予想された上級武家屋敷跡が確認されました。なかでも、屋敷境の溝や池状遺構は注目され、そこからは陶磁器・土師器・瓦・金属製品・土製品・石製品・木製品などの多種多様なモノが出土しています。こうした成果は、文献史料では知り得ない、当時の武士たちの豊かな暮らしぶりを私たちに語ってくれます。

新蔵遺跡
遺跡(19世紀代)の全景
(第1次調査)

池状遺構(第1次調査)
池状遺構
(第1次調査)
陶磁器(第1次調査)
陶磁器
(第1次調査)
酒瓶・焜炉(第1次調査)
酒瓶・焜炉
(第1次調査)

各調査地点の概要

調査年度 調査地点 調査期間 調査面積
調査主体 概報 報告書
平成16年度
(1次調査)
地域・国際交流プラザ(日亜会館)新営 2004年4月21日~2004年11月8日
(7か月間)
1000 徳島大学 -